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静岡地方裁判所 昭和59年(行ウ)7号 判決

主文

一  被告が昭和五五年三月二四日付で原告に対してした地方公務員災害補償法による公務外認定処分を取消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文同旨

第二  事案の概要

一  争いのない事実

酒井信一(大正四年五月一七日生。以下「酒井」という。)は、昭和三六年以来浜松市の清掃業務員として勤務し、昭和五二年六月二〇日からは、運転手一名、清掃業務員一名の作業体制(以下「一対一体制」という。)でロータリー車によるごみ収集作業に従事していた。酒井は、同月二五日午前八時五〇分頃浜松市和合町二二〇番地の九二二地先において雨天業務中に倒れ、同日午前九時三五分不整脈により死亡した。

酒井は当時陳旧性心筋梗塞症であった。

酒井の妻である原告の請求に対し、被告は主文記載の処分をし、審査請求及び再審査請求はいずれも棄却された。

二  争点

酒井は、日常業務に比較して、特に過重な業務に就労し、明らかな過重負荷を受け、まもなく死亡したものであって、死亡は公務により生じたといえるか。

第三  争点に対する判断

一  酒井の業務

1  昭和五二年六月七日(火)以前

酒井は、昭和五二年当時、六月七日までの間は、運転手一名、清掃業務員二名の作業体制(以下「一対二体制」という。)でロータリー車によるごみ収集作業に従事していた。酒井の一日平均の業務量(車数、収集量)は、同年一月3.14台、2.44トン、二月3.23台、2.53トン、三月3.12台、2.92トン、四月3.04台、2.69トン、五月三台、2.65トンであって、所属事業所における一人当たりの平均業務量と同程度であった。

2  昭和五二年六月七日(火)から同月一八日(土)まで

昭和五二年六月七日から一対一体制が実施されたことに伴い、酒井は、同月七日(火)から一八日(土)までの間場内の除草作業に従事した。

3  昭和五二年六月二〇日(月)から同月二四日(金)まで(死亡前一週間以内前日まで)

酒井は、昭和五二年六月二〇日(月)から同月二四日(金)までの間、一対一体制でロータリー車によるごみ収集作業に従事した。酒井の一日平均の業務量(車数、収集量)は、同年六月二〇日四台、5.94トン、二一日三台、5.19トン、二二日三台、5.87トン、二三日二台、2.96トン、二四日二台、3.76トンであった。所属事業所における一人当たりの平均業務量は、二〇日3.3台、5.53トン、二一日3.1台、6.25トン、二二日3.4台、6.60トン、二三日2.6台、3.89トン、二四日2.7台、3.85トンであった。

酒井の業務は、ロータリー車に運転手と同乗してごみ収積所を巡回して一般家庭から排出されるごみを清掃車に積み込み、事業所に戻って作業の整理をするものであった。ロータリー車の投入口の高さはほぼ一メートル前後であるが、ロータリーが回転しているため、短時間に投入しようとしなければならない。一台への積み込み個数は六〇〇個余りであって、積み込みに要する時間は三〇分ないし四〇分程度である。酒井の勤務時間は、月曜日から金曜日までが午前八時三〇分から午後五時まで、土曜日は午前八時三〇分から午後零時三〇分までである。

気象状況(天候、気温、湿度)は、二〇日晴後薄曇り後曇り、21.8度、六四パーセント、二一日曇り一時雨22.3度、六三パーセント、二二日曇り一時雨、21.3度、六五パーセント、二三日雨、二〇度、七二パーセント、二四日雨降ったり止んだり、19.2度、九〇パーセントであった。

4  昭和五二年六月二五日(死亡当日)

酒井は、昭和五二年六月二五日午前八時三五分頃、雨合羽及び長靴を着用し、小島覚太郎運転のロータリー車に乗り所属事業所を出発した。当時(同日午前九時)の気象状況は、天候雨、気温19.3度、湿度九六パーセントであり、大雨洪水警報、濃霧注意報が発令され、前方の視界は悪かった。酒井らは、出発間もない午前八時四五分頃、浜松市泉四丁目八三一の四五八番地地先の対向車線上で前輪を側溝に落として難渋しているタクシーを発見した。タクシーは、東方向を向いて前輪を側溝に落とし、後部をセンターラインに向けて停止しており、最後尾先端とセンターラインとの間の距離は一メートル余りであった。交通量は比較的多く、東方向に向かう車両はセンターラインを越えて通行しなければならず、同時刻には同事業所のロータリー車六台が同地点を西方向に向かって通過する予定であった。

酒井らは、タクシーの横に停車して下車したが、タクシー脱出に必要な板を探すため再び乗車して五〇メートル程進んだ地点で三枚の木の板(厚さ四ないし五センチメートル、長さ一五〇センチメートル、幅一五ないし三〇センチメートル)を発見し、酒井が、これを抱えて小走りに脱輪現場に戻り、側溝に並べてタクシーを誘導した。タクシー脱出後、酒井は、板三枚を急ぎ足で元の場所に戻してロータリー車に乗った。酒井は、午前八時五〇分頃最初のごみ収積所である浜松市和合町二二〇番の九二二地先に到着し、作業に取りかかろうとして下車し、ロータリーを作動させるために車体後部のレバーのところまで歩いて行った。しかし、酒井は、ロータリーを作動させることができず、顔面を蒼白にして震えながら車体に寄りかかり、小島に対して返答もできない状態であった。

酒井は、救急車により病院に収容されたが、既に呼吸が停止しており、約二〇分間人工呼吸が施されたものの効果はなく、午前九時三五分不整脈により死亡した。

(〈書証番号略〉、証人橋本、同石塚、同小島、同山本、同堀江、同大石)

二  酒井の陳旧性心筋梗塞症

1  昭和五一年六月(死亡前年)

酒井の昭和五一年六月二四日の心電図のV1、V2、V3においてはR波が認められ、V4においては有意のQ波がなかった。酒井には当時心筋梗塞症はなかった。

2  昭和五二年六月(死亡時)

酒井の昭和五二年六月二三日の心電図のV1、V2、V3においてはR波が認められず、V4においては有意のQ波があった。酒井は当時心筋梗塞症となっていた。V1、V2、V3においてST上昇、T波の逆転がなく、心筋梗塞症は、新鮮でなく、陳旧性のものであって、心臓の前壁・中隔に貫壁性の梗塞を来たしていた。

(〈書証番号略〉、証人鏑木、同土肥)

三  公務起因性

酒井の陳旧性心筋梗塞症は、前壁・中隔に貫壁性の梗塞を来たしていたものであって、不整脈死の素因を有していた(証人鏑木)。しかし、過重な負荷がなければ、当日死亡の可能性は高くなかった(証人土肥)。

酒井のタクシー助勢行為は、視界不良のもとで、他のごみ収集のロータリー車の通行の支障を除去し、業務の遂行にとって障害となるべき状況を排除するためのものであって、公務に準ずる行為というべきである。大雨の中でした助勢行為は、軽易な作業とはいえず、酒井に過重な負荷を与えたと考えられる。

酒井は、死亡前一週間以内の昭和五二年六月二〇日から前日二四日までの間、一対一体制でごみ収集作業に従事している。一対一体制のもとでは、ごみ収集量は一対二体制におけるよりも倍加している。軽作業である除草作業を経て従事したごみ収集作業も、酒井に相当な負荷を与えたと思われる。

酒井のタクシー助勢行為は、日常業務に比較して、特に過重な業務というべきであり、陳旧性心筋梗塞症であった酒井は、これにより明らかな過重負荷を受け、まもなく不整脈により死亡したものであって、死亡には公務起因性があるということができる。

被告の本件処分は適法ということはできない。

(裁判長裁判官大前和俊 裁判官安井省三 裁判官水野智幸)

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